西郷どんで勝海舟役を演じるキャストは遠藤憲一さんに決定

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2018年02月14日に『西郷どん』の新キャストが発表されました。
西郷どんで勝海舟(かつ かいしゅう)のキャストが発表され遠藤憲一(えんどう けんいち)さんが演じることになりました。

 

 

西郷どんで勝海舟(キャスト遠藤憲一)はどのように描かれるのでしょうか?

 

勝海舟の名前を知らない人はいないでしょうが、西郷隆盛とどのように関係があったのでしょうか?

 

勝海舟は、1823年生まれで、江戸本所亀沢町(現在の墨田区両国)の出身で、いわば江戸っ子です。
幼名・通称は勝麟太郎(かつりんたろう)と言っていましたが、その後、勝安房守と名を変えています。

 

勝海舟は、徳川幕府の御家人で旗本の家の出ですが、御家人と言っても、41石と貧乏であり
叔父の屋敷や妻の実家の離れに間借りする生活で、 幼少期から剣術を島田虎之助から習うと
、直心影流免許皆伝の腕前となった。
嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航(いわゆる黒船来航)し開国を要求されると、
幕府老中首座阿部正弘は海防に関する意見書を広く募集した。
これに海舟も海防意見書を提出、意見書は阿部の目に留まることとなり、
安政2年(1855年)1月18日、異国応接掛附蘭書翻訳御用に任じられて念願の役入りを果たし
、海舟は自ら人生の運を掴むことができた。

 

長崎に赴任した5年の間に薩摩藩主・島津斉彬の知遇も得ており、安政5年(1858年)3月と5月に
海舟は薩摩を訪れて斉彬と出会っている。
同年から安政の大獄がはじまるが、長崎にいる海舟に影響は無かった。
安政6年には幕府から軍艦操練所教授方頭取に命じられ、江戸にもどり軍艦操練所で海軍技術を
教えることになる。

 

万延元年(1860年)、幕府は日米修好通商条約の批准書交換のため、遣米使節をアメリカへ派遣する
ことになり、アメリカ海軍のポーハタン号で太平洋を横断し渡米した。
この時、護衛と言う名目で軍艦を出すことになり、海舟は艦長として渡米したとされ、通訳に
ジョン万次郎も乗り込んだ。

 

直弼暗殺後にに松平春嶽・一橋慶喜ら一橋派が島津久光(斉彬の異母弟)の台頭で復帰、文久の改革で
それぞれ政事総裁職・将軍後見職に就任すると海舟も海軍に復帰し、軍艦奉行並に就任。

 

海舟は一翁および春嶽とその顧問横井小楠を提携相手として手を組み、彼らが主張する公議政体論
(諸侯の政治参加を呼びかけ、幕府と共同で政治を行う主張)の支持者となりその実現に向け
動き出すことになる。

 

海舟が西郷隆盛と初めて会ったのは、元治元年9月11日の大坂においてである。
神戸港開港延期を西郷はしきりに心配し、それに対する策を勝が語ったという。
西郷は海舟を賞賛する書状を大久保利通宛に送っている。

 

海舟は幕府の閣僚でありながら西郷や龍馬たちに「もう幕府は終わりよ」と新しい政治体制の必要性を説き
幕府に仕える幕臣の中では異色な存在であった。

 

江戸城を無血開城して幕府側が降伏した際に、幕府の代表として西郷隆盛と会談しているのが勝海舟です。

 

西郷どんで、遠藤憲一さんがどのようにどのように勝海舟を演じるか楽しみですね。

 


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